
尾花沢からパスで銀山温泉に向かう。温泉街がようやく見え銀山川のダムのよどんだ水をみおろす右手の丘に観音堂が建っている。
ご本尊は聖観音で春日の作と伝えられる。
寛永年間(1624〜44)が最盛期でいささかオーパーのようだが四万八千軒、人口は30万近くあったという。
掘り尽くすのも早く明暦(1655〜58)のころから急速に衰微した。温泉は銀山が栄えたころからのもので札所巡りの人たちは必ず泊まったところでもある。
上の畑には天保2年(1831)から十数年の間窯場があった。その古い焼きものを再現しようと、地元の青年が温泉の近くに窯を造り上の畑焼きをつくっている。